暗い居間で寝転でいる皆月京次が寝返りをうつと、見るとも無しに、ビデオのデジタル時計が目に入ってきた。
「日付、変わったか...」
黒一辺倒の普段着を着込んた京次が呟いた通り、デジタル時計の数字は、奇麗にゼロが三つ揃っていた。 自分と詩女の痴態を命に見られ、命の痴態を見てしまったのは、既に昨日の出来事である。
今日の朝にタケ子が寮に帰る時も、昼前に詩女が帰った後も、命は部屋から一歩も出ては来なかった。
それらと同時刻の朝と昼の食事を食べに来ることもなく、夕食も命は姿を現さなかった。
そんな調子なので、お風呂に入った様子もないし、トイレに行く気配すらもない。
昨日、醜態を見合ってしまった二人だ。気まずいのは重々承知であるが、それでもなるべく早くに命と会って話をしなくてはならない。 それは解っているのだが、どうしても命の部屋に向かう決心が、京次には付けられずにいた。
「詩女が余計なことを言うから...」
詩女に責任転嫁してみるが、本当は自分に意気地が無いのだけなのだと、よく解っている。
命が自分を怨んでいるなど、爪の先ほども信じていない京次だ。 命の部屋に行けない理由は、『気まずいから、』それに尽きる。
とりあえず、命と二人きりで話をしたかったので、サラが寝るまで待っているつもりであったが、深夜のこの時間になっても、京次はグズグズしているのだ。
「でも、やはり俺の方から会いに行かないと...命が会いに来るなんて考えられないもんな。」
京次は、自分が独り言を言い続けているのにも気が付かずに、上半身を起こした。 しかし、ここで昨日から自分が平静を取り戻していなかった事を知ることになる。
昨日と同じ、襖の向こうにある人の気配、
京次はそれに、全然気が付かなかった。
「命...」
一糸纏わぬ姿で立つ命はとても魅力的で、京次でも目を見張った。
過去の、一番輝いていたであろう高校の頃の雪之絵真紀を彷彿させる、白く透き通った、細くて長い裸体。
そんな母親譲りの妖しい美しさの中に、命自身の可愛らしさが共存している。
しかし、それでも京次が我を忘れずにすんだのは、命の顔が羞恥心で真っ赤に染まっていたからだ。
「命、何てカッコしてる。風邪ひくだろ?」
「...今更、そんなつまらない事言わないでよ。」
命は、京次に向かい、ゆっくりと歩を進める。
「解ってるでしょ? パパと私は、もう親子のフリなんて出来はしないって。」
京次は、命の言葉に眉をひそめる。 命の自分を見る目がどうであれ、親子である事実は確かなのだ。
決して京次は、命と親子のフリなどした憶えはない。
「パパ、私を見て?」
両手を広げ、少しだけ足も開き、女である体の部分を見えるようにする。
子供扱い出来ない膨らんだ二つの胸に、
子供を育む器官の出来た股間。それが目の前に晒される。
「パパ、答えてよ。 今までパパが抱いたことのある女と、私と、どこが違うというの?」
微動だにしない京次の前に、命は両膝をついてしゃがみこむ。 そして、そのまま両腕を伸ばし、京次の首に巻き付けた。
それでも京次は固まったまま動けない。 呼吸さえも忘れ、命を見つめている。
「パパ、言うよ?いいよね?」
涙目で訴える命を目前にして、京次は辛うじて首を横に振った。
命が言いたい言葉は、なんとなく想像出来た。 しかし、京次は今、その言葉の持つ意味以上の恐怖を感じている。
どうしても修復したかった命との関係。 しかし、今、命が言おうとしている言葉を聞いてしまったら、修復どころか、今までの命との思い出そのものが破壊されてしまうような、そんな絶望的な予感がするのだ。
すー、と深呼吸をして、意を決した命は、青ざめる京次を気遣う余裕などあるはずもなく告白した。
「パパのこと、好きです。 一人の素敵な男性として、愛しています。」
赤く染まった顔を一層朱に染めながらも、視線は絶対離す事はなく。 言葉も、飾り衒いがないからこそ、逆に本気であると強く感じた。
京次からすれば、絶対聞きたくなかった言葉。
しかし、京次の感じた恐怖の正体は、この言葉の中には無い。
「...私、本当は、パパなんて呼びたくもなかった...だって、」
京次が本当に恐れていた言葉は、その次にこそある。
告白を終えたことにより、緩んでしまった心と体を預けようと、京次にもたれ掛かる命。
しかし京次は、無言で命の両肩を掴み引き離した。
「?」
「命、俺はお前の事を、娘として以外の目で見た事がない。」
「!! 」
命の全身に、再び力が入る。 絶対離すまいと、京次の服を力いっぱい握り締めた。
「そんなの嘘だよ! 絶対ありえないわ!!」
「本当だ。 親なのは間違いないんだから、当然だろう?」
「だって、パパ、私の事を一番好きだって言ってくれたじゃない!!」
「それは本当だ、命は俺の娘なんだから。」
「そんな筈ない!! それはありえないのよ!!」
親として認められていない現実を知り、落ち込んだ京次。 その為に、命の言葉が微妙におかしい事に気が付かなかった。
「パパは、私を娘だから好きだなんて、”絶対ありえない”のよ!!」
「本当だ。俺には、今でも命を娘としか見れない。」
キッと両目の端を吊り上げ、牙を向いた命が、京次の股間に手を伸ばした。 避けようと思えば、容易く避けられる命の手。 しかし、京次はあえて動かなかった。
京次の股間に伸びた命の手は、そのまま男の性器を握り締める。
「!」
しかし、その途端、命は息を飲み、自分から手を離した。
「解ったろ? 命は娘だから、俺は反応しない。」
「...だって、パパ、私の事、好きだって言ってくれたもん。」
「娘だからな。」
「...私は女だよ?」
京次は、頭を振って見せる。
「だから、私が他の女と違う所ってどこなのか教えてよ?」
俯いたまま、京次は頭を振る。
「...ショートカットの方が好き? だったら私、髪切るよ?」
きつく目を閉じて、ただひたすら同じように頭を振る。
「料理とか苦手だけど、一生懸命練習するよ? 掃除とか洗濯とか、今でもできるよ?それでもダメ?」
正直、命の言葉は、あまり上手く聞こえなかった。 しかし、未練がましく色々聞いているのだという事だけは解った。
だから、京次は命が何か言う度に、強く頭を振って見せる。
命の言葉そのものを遮るかのように、頭を振り続ける。
そうしているうちに、命の声は、何時しか聞こえなくなった。