寝間着から、黒一辺倒の私服に着替えた俺は、自室から、少々散らかった居間に移動した。
「あー、とーさん 」
「おう。」
俺は、甘えて抱き着いて来た我が息子を抱き上げた。
「もーあなた、あんまり甘やかさないでよー。」
居間からは見えないが、台所の奥にいる俺の妻、詩女の声が聞こえた。
洗い物をしているらしく、食器の当たる音と、水道の蛇口から出る水の音が聞こえる。
俺、つまり皆月京次と、(旧姓 渡)詩女は、その後結婚し、一児の父と母だ。
高校を卒業する頃には、詩女の腹は膨らんでおり、卒業後すぐに結婚した。そして2LDKの部屋を借りて、五年たった今も、その場に住んでいる。
貧しいながらも楽しい我が家と言うが、実際は俺の稼ぎは貧しくはない。体が強いのを極力利用して、それ相応の働きをしているからだ。
今日は土曜日なので、一家で遊びに出ようと思っている。
『郵便でーす、』
扉の外から聞こえて来た声と共に、扉にすえつけられた郵便受けに、葉書と手紙の束が落とされた。
食器洗いが終わったらしいエプロンを付けた詩女が、布巾片手にそれを取る。
「なあ、一段落ついたんだったら、どこか行こうぜ。」
俺は、どーせダイレクトメールばっかりの、郵便物に目を落としている詩女に声をかけた。
「ねーとーさん?どこいくの?くるまでいくの?」
「ああ、スカイライン800馬力カスタムの助手席に乗せてやろう。」
「わーい、」
俺と息子のやり取りの中、詩女は郵便物に目を落としたまま、ピクリとも動かない。
「おい、詩女?」
俺の愛車はちょいと危険なので、息子を乗せようとすると、決まって詩女は怒り出すのだが、まったくの無反応だった。
「どーしたんだ?」
「...これ、」
よろよろと、幽霊の様な動きで振り向いて、一枚の葉書を俺に渡す。
「?」
俺は渡された、その葉書を見つめた。
葉書には、どこかで見覚えのある女性が、おそらく自分の娘であろう女の子を抱きしめている姿がプリントされていた。
思えば、その女性が誰なのか咄嗟に気がつかないなんて、ありえない話だった。
それなのに俺は、この女性が、気にして止まない彼女である事が分からなかった。
まさかと勘繰り、戸惑った。
それほどまでに、変わっていたから。
それほどまでに、優しく、暖かい女性に見えたから。
幸せそうに微笑む、雪之絵真紀。
「雪之絵なのか....」
彼女とは七年前に別れて以来、一度も会っていない。写真の中に、なつかしい姿がある。
「そうか...」
俺は、雪之絵と別れた時の事を、思い出していた。
子供を盾にしないと雪之絵本人が言ったとはいえ、そのまま、ほったらかしにするほど俺も極悪人ではない。
だが雪之絵は、俺が怪我から回復した時には既に学校を中退し、消息不明になっていた。
出来るかぎり探したのだが、雪之絵の財閥が絡んでいるらしく、俺の手には負えなかったのだ。
言い訳になってしまうが、心配はしていた。これは本当だ。
別の男と一緒なったのか?
未婚の母になったのか?
それは、この葉書からは分からない。でも、写真の中の雪之絵を見ればこれだけははっきりと言える。
雪之絵は今、幸せに暮らしているのだ。
俺は、思わず頬をゆるめた。それに気がついたが、別にいいと思った。俺は、詩女には内緒だが、もう雪之絵を恨んではいない。
「...それにしても、こいつ本当に変ったな。仮に出会っても”あんた、誰?”って間違いなく聞いちまうな。」
ははっ、と笑って、つい軽口が出て来る。すると、すっかり忘れていたが、後ろにいた詩女がボソッと呟いた。
「....似てる、」
ん?
「私の子供と、あの人の娘がなんで似てるの?」
ん!?
詩女の無感情の呟きに、俺はあらためて葉書を見つめた。
...似てる、
よろよろと、幽霊の様な動きのまま、詩女は台所に消えて行った。
しまった!!雪之絵の変貌に気を取られて忘れていた!!写真の女の子!あの時雪之絵の腹にいたやつじゃねーか!?
こーゆう時、どうすればいいのか分からず、おろおろしていると、やたらと長い包丁を握り締めた詩女が台所から出て来た。
....あんた、誰?
何時の間にか、正座している俺は、こそっとこの場を離れようとしている我が息子を捕まえた。
「た、助けてくれ。いつもみたいにさ。」
そう、俺と詩女が喧嘩した場合、その仲介役はいつも我が息子なのだ。
しかし、その頼みの綱は、真っ青になってブレるほど頭を振る。
「やだよ、今日のかーさん恐いもん、死ぬなら一人で死んで。」
俺の手を振りほどいて逃げて行く我が息子。あれは俺が死んでも立派に生きて行く事だろう。
正座して不動の俺は、この場を逃れるために、高速で思考をめぐらせる。
そして、俺は一つの結論にたどり着いた。
そうか、そう言う事か。
おかしいと思ったんだ。雪之絵にはぶちのめされるし、詩女には殺されそうだし。でも、こう考えれば納得出来る。
そうなのだ、つまりこれは。
けれ
れ
け
おしまい。るれれ