3second スラム街

「ここが私達が今夜泊まるホテルよ。」

 相変わらず上機嫌の母さん。

 今回の旅行には、母さんのストレス発散という目的も含まれているので、それは大いに結構なことだ。

「私は予定どおり、これから早速ショッピングなんだけど…、貴時はどうする?私の買い物に付き合うのも退屈でしょ。」

 確かに女性の買い物に付き合う趣味は無い。

「俺の事は気にしないでいいよ。母さんはゆっくりと、買い物を楽しめばいい。俺は俺で行きたい所があるからさ。」

「そう?まあ、あなたはしっかりしてるから、一人でも大丈夫だとは思うけどね。でも気をつけてね。外国は物騒なんだから。」

 と、母さんが注意してくる。だが、ハッキリ言って親父の家の周辺の方が、よっぽど物騒だと思う。だからこそ、ここなら母さんに気を使う必要がない。俺一人で外国に来た日には、母さんが心配で旅行どころじゃない。その場合は親父が守ろうとするだろうが、そいつはお断りだね。

「じゃあ午後6時にホテル前に集合よ。もし遅れてきたりしたら……」

 一瞬、母さんの頭上に角が見えた気がした。

「わ…分かってるよ。」

「そう。じゃあ行ってくるわね。」

 そう言うと母さんは、親父に買ってもらったであろうハンドバッグをブンブン振り回しながら、人ごみに消えていった。

「……」

 母さんと別れてから数分後。俺は身支度を整えて、街路を歩いていた。

 俺の今の服装は、白いTシャツの上に大きめの黒い皮ジャンを羽織り、黒いズボンに黒い靴。それから、黒い手袋に黒いサングラス。これでもかというくらいに、全身黒尽くめのファッションだ。

 さらに、口にはタバコを咥えて吹かしているが、さすがに日本と違って、注意してくるような大人はいそうもない。 今着ているジャケットのサイズは、俺の体よりも大きめだ。何故かって?決して歳相応に小柄な体を大きく見せたいわけじゃない。本当だぞ。決して背の高い親父への反感じゃない。本当だぞ。……本当に本当だぞ。本当の理由は……まあ、そのうち分かるだろう。

 そして、このサングラス。俺が普段から愛用してるものだ。目が弱いわけでも、カッコつけでかけてるわけでもない。俺がサングラスをかける理由は二つ。

 一つは俺が自分自身の「目」が嫌いだからだ。

 どうやら、俺の目はあの親父の目にクリソツらしい。悔しいが俺自身、かなり似てると思う。だから普段は、目を隠す事にしてる。

 二つ目の理由…か。それは、もう癖みたいなもんかな。

 まだ命姉さんが、親父のもとを訪れる前。俺が両親と出かけた時に、小遣いで買った物。それがサングラスだった。
その頃から、ずっとかけ続けている。ま、何度か買い換えてはいるけどな。

 当時は単にカッコイイと思ったから買った物なのだが、今はそんなことはどうでもいい。ただ、サングラスというアイテムが、平和だった頃の家族の象徴であり、俺なりの「絆」なのかもしれない。

 。

 そうこう考えながら、俺は路地を右に曲がった。先ほどまでの大通りから少し離れただけなのに、その路地裏はかなり人気の少ない場所だった。店などもデパートやコンビニは形をひそめ、個人経営と思われる小さなものばかり。

 路上で店を広げる者達も少なくなかった。中には、何かやばげな商品を売りつけようとしてる奴までいるようだ。

 だが、そんな事にはお構い無しに、俺はどんどん人気の無い方へと歩を進めていく。すると…

 …ヒョコッと、人影らしきものが、後方で顔を出した…気がした。

「!?」

 振り返ってみると……。……そこには、誰もいなかった。

「……気のせい…か?」

 再び俺は、目的地へと急いだ。

 辿り着いた場所は、路地裏よりもさらに剣呑な空気が漂っていた。

 スラム街――― 一般的にそう呼ばれている地域。その中でも特に『黒人スラム』と呼ばれている場所。

 未だにこの国に、根強く残る人種差別の象徴。黒人の低所得階層が、住人の大半を占めるコミュニティー。

 ただし、誤解するなよ。この街全体が危険なわけじゃない。街自体は活気づいてるし、ここに住んでる奴らだって、みんながみんなギスギスしてたりはしない。ま、俺みたいな黄色人種は「獲物」として以外は、あまり歓迎されないけどな。

 ただ、今俺がいる場所は、スラム街の中でも治安が悪い場所である事は、間違い無さそうだ。

 昼間っから売春婦らしき女達がたむろしてるし、周りのフェンスは破られ放題。壁の落書きは、まだかわいらしい方だ。道端で、酒瓶を持ったまま蹲まってる老人は、生きてるか死んでるかも、分かったもんじゃない。日銭を犯罪まがいの方法(スリ、引っ手繰り、泥棒、強盗が主かな)で手に入れてるような奴らも多くいるみたいだ。

 表と裏。何にだってそれは存在する。先ほどの都会の大通りと、危なげな路地裏。活気ある黒人スラムと、今のバイオレンスな地域。距離は少ししか離れていないのに、その差は歴然としてる。

 人間の表と裏も、そんな微妙なバランスの上に、成り立ってるような気がする。俺にしたって、親父にしたって。それに……命姉さんにしても…な。

 黄色人種のガキが、一人でこんな場所を歩いてるのが珍しいんだろう。俺の周りに何人かの若い連中が、距離を計りながら近付いてきた。

 そいつらが、こちらをチラチラと見ながら、
「Chinese?」
「Japanese?」
 などと言い合っている。

 そんな連中を掻き分けて、後方から三人の少年を引き連れた一人の男が姿を現してきた。

「Hey.」

 声を掛けてきたそいつは、歳の頃は16〜17歳くらいだろうか。チューイングガムをクチャクチャと噛みながら、ニヤニヤと笑っている。背丈は180センチを優に越えている。当然、黒人だ。

 俺はそいつに一瞥くれただけで、そのままペースを崩さずに歩き続ける。

「Hey!」

 そんな俺にいささか言葉を荒げながら、そいつは再び声を掛けてきた。だが俺は奴に興味はない。完全無視を決め込む。

とうとう、そいつのイライラは頂点に達したらしい。

「Hey you!Jap!?」

 喚き散らしながら、俺の肩に掴みかかってきた…が。

 ゴツッ!

 そいつの顔面に、まったく振り返らないまま裏拳を叩き込んでやった。

「Yes,I’m Japanese.」

 返事だけはしてやったが、どうやら聞こえなかったみたいだな。俺の拳は大分いいところに入ったらしく、奴は仰向けに倒れて情けなく気絶していた。

 周囲の連中が唖然とする中、気絶した男の取り巻き三人組が、やかましく英語で怒鳴りつけてくる。

「て…てめぇ、俺達を誰だと思ってやがる!」
「こんな事して、タダで済むと思ってんじゃねえだろうな!」
「今更謝ったって、許してやらねぇぞ!」

(随分と安い脅し文句だな…)

 そう思いながら、俺は懐から『ある物』を取り出した。

 黒光りする『それ』を見た途端に、三人組の表情が固まる。

 俺が取り出したのはコルト・パイソン…要するに拳銃だ。

「謝る…?誰が。」

 そいつらには、サングラスの奥にある俺の瞳が、光ったかのように見えただろう。完全にびびってる。

「…い、いや、…その、……ひ…引き上げようぜ!」

 三人組は、気絶した男に肩を貸し始めた。

「おい…」

「ヒッ!」

 声をかけただけで驚いてるそいつらに、忠告してやった。

「その男が目覚めたら言っといてやれ。もし今度俺の前に現れたら、ただじゃおかないってな。」

「わ…分かったよ。言っとく。」

 返事をしながら、そいつらはそそくさと逃げていった。

「フン。」

 口に咥えていたタバコを地面に吐き出すと、俺はコルト・パイソンを懐にしまう。

 だが、この拳銃。実は本物じゃない。いわゆるエアガンというやつだ。

 日本ならば、この手の脅しは通用しなかっただろう。まさか小学生が持ってる拳銃が、本物だとは思われないだろうしな。しかし、ここは黒人スラムでも治安の悪い場所だ。拳銃を見れば、本物と思われてもおかしくはない。ただでさえリーダー格の男がのされた後で、混乱してたみたいだしな。

 その時、周囲にいた連中の一人が、おずおずと話し掛けてきた。

「なあ、あんた。こんな事していいのか?ハッキリ言って、やばいぜ…」

「あん?」

「さっきあんたが倒したのは『Bad Max』のサブリーダーのジョニーだ。ここら辺じゃ、一番規模がでかいチームだぜ。」

「だから?」

「だ…だからって…!分かってるのかよ。命が惜しかったら、絶対ここから離れた方がいいって!」

「危険は覚悟でこんなとこ来てんだよ。当然だろ?」

 俺はそう告げると、その場を後にした。もちろん逃げ帰るためじゃないぜ。


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