身じろぎ一つ出来ずにいる京次を置いて、命は、襖を蹴破る勢いで居間から飛び出した。
自分の部屋に向けて駆け出す命にを京次は止めようとしたが、カラカラに乾いた口からは、まともな声は出なかった。
「何、うな垂れてるのよ。 カンシャク起こしたミコトが、支離滅裂な事を叫んだだけでしょ?」
「...そうだな。」
何時の間にか現れたサラを気にする余裕もなく、そう答えた京次だったが本当は違う。
命の叫びは支離滅裂どころか、何もかもその通りなのだ。
今まで『父親の立場』にあぐらをかいて座り、命の本心を知ろうともせず『親子の絆』を押し付けてきたのは間違いない。
そのことに、京次はやっと気が付いた。
詩女の言っていた言葉を、今更成る程と思ったその時、窓に外側から何かをぶつけられ、窓ガラスが割れんばかりに響いてビリビリと音を立てた。
「!?」
京次とサラが、一斉に外を見る。
「ミコトだわ。」
サラは、京次同様、気配を探るのは得意である。
今、外から窓に向けて何かをぶつけ、その後どこかに走り去って行ったのは、間違い無く命だった。 自分の部屋に戻った後、服を来て外へ飛び出したのだ。
「命の足じゃ、私では追いつけないわね。」
サラは、京次の横を通り過ぎ、窓を開ける。
下に、命が投げつけた物が転がっていたので、それを拾い上げて京次に見せた。
それは、随分前のクリスマスに、京次がプレゼントしたウサギのヌイグルミだった。
あの時の事はよく覚えている。
本当は、命は大きな熊のヌイグルミが欲しかったのだ。
「ああ、それは、本当は命はいらなかったんだ。」
気丈なフリをしている京次の言葉を聞いたサラは、自分の左の義手に書かれた命サインに目をやる。
『...嫌いなものを自分自身に見立てて、サインにしたりするかしらね。』 そう思ったサラだったが、今はそれどころでは無い。
「皆月京次、これを見て。」
そう言ってサラが、ヌイグルミを持つ方とは逆の手で、黒いマッチ箱程の物を放ってよこした。
思わず受け取った京次だが、それが何かは解らない。
「玄関に仕掛けられていた盗聴機よ。 陸刀加渓が来る前には、それは無かったわ。」
「タケ子ちゃんが?」
「鳳仙家の誰かに頼まれて、それが何なのか知らずに置いて帰ったんじゃない?」
京次も、サラも、タケ子がアケミの切り札などとは知らない。
「それが玄関にあったって事は、ミコトの部屋にも仕掛けられてる可能性あるわね。 そうなると、ミコトが夜中にアパートを飛び出したことも、連中に知られている。」
その言葉を聞いた途端、枯れたジジイのように座り込んでいた京次が立ち上がった。
「大丈夫?」
「ああ、俺は命に好かれる為に一緒に暮らして来たんじゃない。 あくまで守る為だからな。」
サラは、思わず笑みが浮かぶ。 たとえ空元気であれ、やはり皆月京次はこうでなくてはいけない。
そう思う。
「ミコトがどこに行ったのか、心当たりある?」
壁に掛けてあった黒いコートを羽織りながら、京次は考える。
当たり前だが、命は鳳仙のアジトであるカズ子の屋敷に行った事はない。
これまで、カズ子自身が命が屋敷に来るのを許さなかった。 カズ子が自分を狙う敵の血筋であるとは知らない命は、それが悲しいと京次に漏らした事があった。
それにカズ子は、電車を使って学校に通っている。 当然、走って行ける距離ではない。
高森夕矢の家に至っては、命はどこにあるか知らないはずだ。
「タケ子ちゃんの所が、一番可能性高いな。」
タケ子のいる女子寮は、ここから二キロぐらい先にある。 昔、学生の頃の京次は、その女子寮に住む女生徒に、部屋に招待されたことがあるので、場所は知っている。
「気配が読めなくて、行き違いになる可能性があるから、車は使わない方がいいだろうな。」
「それで、間に合う?」