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タケ子の首に回していた両腕をするりと抜いて、雪之絵 命は、高森をなぶった長身の侵入者、皇金に向き直った。
命は身長163cmあるので、女の子の中ではそう低い方ではない。 しかし、普通に歩けば鴨居に鼻面をぶつけてしまう程、背の高い皇金の顔を睨み付けるのは、命にとっては天井を見上げるのと一緒だった。
命の腕から開放されたタケ子は、一抹の寂しさを感じながらも、倒れてびくともしない高森夕矢の側まで小走りで進む。
途中、皇金やサラメロウの妨害があるかと思って警戒していたタケ子だったが、それはなかった。
今の皇金、サラの両名は、タケ子も高森も眼中にない。 あくまで今までのは”お遊び”、命さえ連れて帰れば任務は終了する。
「高森?大丈夫?死んでない?」
腫れ上がって元の面影皆無の高森の顔を目の当たりにして、泣きそうになるのをなんとか堪えながら高森に呼びかけると、少しだけ高森自身が反応した。
「意識ある?目覚めたの?」
心底安心したタケ子の呼びかけに、高森は辛うじて肯いた。
どうやら本当に意識を取り戻したらしい。 正直助かった。 いくらタケ子の腕っ節が強い方だと言っても、平均身長を軽く上回る高森を担いで教室を出るのはムリがある。
肩はいくらでも貸すが、ある程度は自分で歩いてもらわなくては。
様子を観ているサラメロウは、タケ子の行動をカズ子の時の様に妨害はしなかった。
タケ子は自分達の飼い主である陸刀アケミの妹である。 さすがに、妹に怪我までさせたら陸刀アケミも黙ってはいないだろう。
「...ねえ、皇金。 邪魔者が入るまでに雪之絵 命、取り押さえられる?」 思案の後のサラの言葉。
邪魔者とは、警察などの武器をそなえた組織を限定している。 それ以外なら、サラメロウと皇金二人いれば、かすり傷一つ受ける事なく突破する自信があった。
タケ子が警察に連絡したとして、武器を装備した警察隊がここに到着するまで十五分は掛る。 この辺は、既に計算済みだ。
「充分な時間だ。」 皇金は、余裕の笑みを携えたままそう答えた。
「本当に殺されちゃいな。 」
思わず皇金が呟いた通り、タケ子に気を取られている内に、皇金の射程距離の中に、命が立っていた。
しかし、皇金を睨み付けた命は、何のつもりなのか、まるで無防備のままだった。
言うまでもない事だが、命より皇金の方が身長が高い分、攻撃の射程範囲も広い。
今の命と皇金の距離だと、命は、後二歩は前に出ないと拳はおろか蹴りも届かないが、皇金の方は無造作に伸ばすだけで手の届く距離だった。
命の雰囲気を感じる限り戦闘放棄とは思えないし、太郎を仕留めた手並みを見た限り、命が相手のテリトリーが分からない素人とも思えない。
『雪之絵 命が攻撃のために飛び込んで来ても、自分なら迎撃出来る。』そう考えた皇金は、先ほどの高森同様、命に対し、鎌掛ける事にした。
皇金は、太郎を瀕死に追い込んで、まったく意に返さない命に興味を持っている。
股間を破壊されて泡を吹きながら倒れている太郎の姿は凄惨極まりない。 両足は根元から明後日の方を向き、激痛の為、防衛本能が働き気絶するまでの間に宙に向かって吐き散らしたゲロが一面に散らかっていた。
太郎の今後は、最悪死亡、良くても再起不能である。 命が”そのつもりで攻撃した”事は、今の表情からも明らかだった。
皇金とサラメロウ、太郎にしてもそうなのだが、初めからヒットマンだった訳ではない。 子供の頃、陸刀家に買われて、人殺しの技を叩き込まれながら生きて来たが、本当に人を殺す時には「生きる為には殺さなければならない。」そう自分に言い聞かせていたのだ。
今のように平気で人を殺せるようになるまで、どれほど自分を偽ってきた事か。
それを思えば、太郎を眉一つ動かす事なく破壊した今の命は、”たいした女”なのである。
「雪之絵 命さんよ、キミが痛めつけたあの男、近々死ぬぞ。 なんとも思わないのかい?」
「...私、アンタ達が何者か知ってるよ。 私とお母さん襲った殺し屋達の仲間でしょう?」
ばれてても当たり前。皇金はそう思って肯いた。
「生きているアンタ達は、放射性廃棄物と同じ有害なゴミよ。せめて殺されて、処理可能な生ゴミになりなさい。」
命が真顔で、とんでもない事を言い放つ。
これには、さすがの皇金も眉間にシワを寄せた。 サラメロウも呆気に取られ、「どっちが悪人かわからないわ...」と、思わず呟いた。
これでキレたら大人げない。皇金は頭を振って、なんとか堪える。
「もう一つ聞いていいかな?」
「何よ。」
「腕に覚えのあるヤツには、聞く事にしているんだ。 キミも、強くなる為に”必死”になったクチかい?」
命は少しだけ、目を細めた。
「俺達はね、生きるために強くなる必要があったんだよ。 死の恐怖をいくらでも味わって来た俺達にしてみれば、簡単に必死なんて言葉を使ってほしくないのさ。」