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「珍しいな。 お前が逃がしてやるなんて。」
「...本当の所言うと、今日は、暴れる気分になれないのよ。」
雪之絵の言葉、 実は京次も同感だった。
二人の、十七年ぶりの再会を邪魔さえされなければそれでいい。
エデン母から奪った『口紅の解毒剤』が功を奏したのか、幾分顔色の良くなった京次が体を起こすと、その気配を感じ取った雪之絵が側によって来た。
「少しは毒抜けたのかしら?」
雪之絵が京次の顔を覗き込む。
「大丈夫だ。 それより、命は無事だったんだよな?」
「ええ、自分で見てみる?」
その言葉に京次が肯くと、雪之絵が、半ば担ぎ上げる様に肩を貸した。 それを支えに立ち上がった京次は、連れられるまま、坐っていても下界が見える所まで移動する。
ほとんど、崖上ギリギリまで来た京次は、崩れるように腰を降ろした。
まともに歩ける様になるまでは、まだまだ時間が掛かりそうだ。
「何が大丈夫よ。 体、すごく熱いじゃない。」
「当たり前だ。これは、俺の体が毒と戦っている証拠だからな。」
言いながら、悪寒を感じて身震いする。 雪之絵に指摘されたのと、安心したのが重なり、今になって体調の悪さを実感したのだ。
ほんの少し風が吹く度に、京次は敏感に反応して体を震わせた。
「寒い?」
「寒い。」
「...もう、」
雪之絵は、膝をつきながら京次の後ろに、よちよちと移動し、了承を確認する事もなく、自分の両腕を京次の首に回して体を張り付けた。
「風よけぐらいには、なるでしょう?」
耳元で聞こえた、雪之絵の言葉。
風除けにしては必要以上に密着させた体からは、体温と、もう一つ別な温かいものを感じる。
背中ごしに感じる、雪之絵真紀の存在。
温かいと、素直に言えない自分を情けなく思いながら、京次はそのまま下界を見下ろす。
命とサラの住むアパートは、この場所からは、本当によく見える。 電気の燈った居間のカーテンごしに、命のツインテールの髪の影が揺れていた。
その動きは活発で、随分と元気そうだ。
ここに来て、やっと本格的に緊張の糸が切れた。
雪之絵がこの場にいる事で、命が自力で刺客を撃退したのだと解ってはいたが、やはり自分の目で確認するまでは心配だったのだ。
また、サラメロウも無事である事は、カーテンごしの命の動きでも解る。 あの動きは一人の物ではない。
「あいつら...喧嘩してる。」
京次の呟きと同時に、陥没したナベが窓ガラスを突き破った。