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「いい加減、雪之絵を倒すには、もっと準備が必要であると解ったろうな。」
一応、エデン母は押されながらも、それなりの戦いを展開していた。
回し蹴りも、腕で受け止めながら鋭く体を回転させ、威力を全て逃がしていた。
エデン母の間接の柔らかさは、攻撃だけでなく防御にも有効なのだ。
だが、京次の言う通り、雪之絵の真骨頂と言っていい暴力的な攻撃スタイルに、エデン母も防ぎきれなくなっているのも確実だった。
元々、雪之絵真紀とエデン母の戦闘能力は、かなりの高レベルで等しく、大差がある訳ではない。 それなのに、先ほどはエデン母の強さが際立ち、今は雪之絵が一方的に攻め込んでいる。
これは、心理的優位が全ての原因である。
モチベーションの差。 これは、普通でも『小さな事』で済む問題ではないが、雪之絵やエデン母のレベルともなると、それが際立つ。
たとえば百メートル走の世界大会で、一位と二位の間が、零コンマ数秒であっても、かなりの差が開いて見える様に、達人レベルでは、たとえ『小さな事』でも大きな差となって現れるのだ。
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雪之絵が肉食獣と評価される事があるとはいえ、本当の獣ではないので、火を見た程度では怯みはしない。
しかし雪之絵は、恐怖とは別の理由で後ろに飛び退さった。
「カンも冴えてますわね。 付け髪の油を燃やすと、有毒ガス発生しますのよ。」
元々、これが本当の切り札であったのだろうが、次の攻撃の足掛かりにするつもりは無いらしく、エデン母は雪之絵より遥かに大きく跳躍し、後ろに逃れていた。
飛び退いて降り立った場所から、お互いの距離を計る。
二人の間には有毒ガスが漂い、どちらの脚力でも、その間合いを一瞬で詰めるのは難しい。
強引に攻め込もうとしない雪之絵を見ながら、エデン母はゆっくりと後退し、距離を空けて行った。
エデン母が戦闘を途中放棄し、林の中に逃れようとしているのは、誰の目から見ても明らかだった。
二人の醸し出すピリピリとした殺気が消え去り、それに呼応する様に、ざわめいていた辺りの雰囲気が嘘の様に静まり返った。
「先ほどあなたの事を、『私の戦った中で、十番目に強い。』と言いましたけど、『三番目』まで格上げして差し上げますわ。」
「当然、二人とも、私より遥かに強いですわよ?」
表情に変化を見せない雪之絵を見ながら、内心敬意を払いつつ、その場を退散しようとしたエデン母は、ある物を見つけて足を止めた。
「そうですか。それでは山田太郎さん、是非またお会いましょうね。」
この言葉が消えるのと同時に、エデン母の体も闇の中へと溶け込んだ。