女難師弟

その3 夜  命とサラと京次と食事

 ちん、ちん、ちちん、ちちん。 かーーん。

 ちん、ちん、ちちん、ちちん。 かーーん。

 ちん、ちん、ちちん、ちちん。 かーーん。

 夕飯をとるには、もうかなり遅いと言わざるを得ない時間。

 お腹を空かせたサラが、例によって箸で茶碗を叩いて催促している。

 そしてその横で、初めこそ窘(たしな)めていたものの、段々自分も空腹に耐え切れなくなって来たのか、今ではコップを叩いて合いの手を入れている皆月京次だ。

 ちん、ちん、ちちん、ちちん。 かーーん。

「そんな催促し続けなくても、今出来ましたから」

 滅多に見せない明らかなうんざり顔をした高森が、料理を載せたお盆を持って振り返った。

「あ、いや、サラはともかく、俺は別に催促してた訳じゃないぞ。ただ、少々手持ち無沙汰だったから合いの手をな」

 詰まるところ、要は同じ行動を取っていたという事なのだが、高森は、敢えて突っ込まなかった。

「遅くなってすみません。帰りに、ちょっとごたごたがありまして」

 料理の盛られた食器を手際良くならべながら、高森は、手短にそう言った。

「そうなのよ! ほんっと無茶苦茶なんだから、あいつら! 」

 高森の言葉に、勢い込んで命が、何度目かの怒りの言葉を口にする。

「ああ、判った。判ったから、先に飯にしよう。ほら、サラもさっきから待ちかねてる」

 京次は、即座にサラをダシにして、命の話を遮った。

 京次の反応に不満そうな命だったが、正直お腹は空いているので渋々従う。

 だが、サラに向かって一言悪態をつくのだけは忘れなかった。

「ほんとにもう、相変わらずいやしいんだから。この鬼嫁詩女の手先め! 」

 何故サラが、詩女の手先になるのか?

 呪いの件が解決した後すぐに、命は、母親の雪之絵真紀に引き取られた。

 今は母子して、京次の「お隣さん」として住んでいる。

 京次の方はというと、あの詩女が、三人も妾を囲う夫の所に大人しく帰って来る訳がない。二人は、未だ別居状態である。

 だが、一人暮らしという訳ではない。

 鳳仙家襲撃事件の後、京次は、詩女を入院中のサラに引き合わせた。そして、サラのこれまでの人生を、実の親によって手足を失った事を、殺し屋まがいの事をして(本物の殺し屋だとは言わなかった)生きて来た事を、そして、最早どこにも行く所がないのだ(ちなみに、本当である。既にアケミの所には、「接待」の嫌な思い出のある鳳仙屋敷を取り壊し、土地を貸し出してしまったカズ子が転がり込んでいた)という事を話して聞かせた。

 サラを、娘として引き取る為である。自分が話して駄目だったら、また高森を動員しようとも考えていた。

 だが、京次の予想に反し、詩女は、サラをぎゅっと抱き締めると、「養女として引き取る」と自分の方から言い出したのだ。そして、直ぐに、必要な全ての手続きを行った。

 皆月サラメロウ。

 現在のサラのフルネームである。

 今、京次は、正式に養女として皆月籍に入っているサラと一緒に、このアパートで暮らしている。

 詩女の意向である。

 ごく短期間のうちに、彼女は、サラが未だ異性への関心に目覚めてはいない事に気付いた。そして、何が何でも今のうちに、京次を「本当の父親」として認識させておかねばならないと考えたのだ。

 将来、異性としての京次の魅力に目覚め、第二の命が生まれてからでは遅いのだ。

 また、母親に引き取られたとはいえ、命が京次の隣に住んでいる事実に警戒したのも理由だろう。

 「自分の代わりに、京次の身の回りの世話をして貰う」それが、詩女の掲げた大義名分であった。

 命の目からは、詩女の回し者と映る訳である。

 勿論、サラが家事を得意とする訳がない。

 自然、こうして高森が食事を作りに来る頻度が増したという訳だ。

 今日も、予定ではもっと普通な時間に夕食をとれるはずだった。

 だが、高森の怪我を見たマルキーニが、病院へ行って手当てするべきだと強硬に主張して譲らなかったのだ。心配するマルキーニを無下にも出来ず、高森は、あの後「陸刀総合病院」で手当てを受けた。

 その上、その帰り道、洒落たランジェリーショップを偶々見付けた命が、駄目にされてしまった下着を買い直そうと言い出したのだ。

 ああ、女の買い物の長さよ!

 結局、命の眼鏡に適う物も、マルキーニの体に合った物も見出す事が出来なかったのだから、考えてみるとあの時間は何だったのだろうという事になるのだが。

 そんなこんなで、この時刻までも夕食がずれ込んでしまった訳なのだ。

 料理が食卓に並ぶと同時に、目にも留まらぬ速さでサラの箸が躍る。まるで、何日も絶食していた欠食児童のような勢いだ。

「どうですか? 」

 目の前の料理に箸を付けた京次に、高森は訊ねる。

 だが、京次は、心ここにあらずといった様子で、「ああ」と答えただけだった。

( 味付けを失敗したのだろうか? )

 心配になった高森は、自分の器に盛った同じ料理を口にしてみる。

 問題ない。京次の味の好みは、良く知っている。

「……?」

 どうしたのだろう。アパートに着いた時、予定の時間よりかなり遅れて現れた高森を心配し、事情を聞くと「今日は、俺が夕食を作ろうか? 」と気を遣ってくれた先刻の京次とは、まるで違ったぞんざいさだ。

 いや、こういう家族に囲まれていたのでは、気の休まる暇などないのかもしれない。

 高森は、共に食卓を囲む、京次の娘二人に目を向けた。

 サラは、何日ぶりに食事にありついたかのように黙々と食べ続けている。知らない人が見たら、普段食事を与えずに虐待しているのではないかと疑われそうだ。命は、食事が始まると同時に、せっかく購入した下着を連中に駄目にされた事を、再び延々と愚痴り続けている。

 そう、きっと京次さんは疲れてるんだ。高森は、そう解釈する事にした。

 そういえば先刻、アパートに帰り着いた途端、命は、まず母親の雪之絵真紀に今日の出来事を訴えていた。雪之絵真紀は、命を優しく抱き締め、その髪を撫でながら、うんうんと聞いてやっていた。そこまでは、普通の母子だ。

 だが、ひとしきり言い上げて気が済んだらしい命が顔を上げると、その母親は訊いたのだ。

「で、きっちり殺した? 」

「うん。きっちり殺した! 」

 すると、母親は、満足そうに再び娘の髪を撫でながら教え諭した。

「いい? 命。女の幸せを奪われて泣き寝入りするような女には、決してなるんじゃないわよ」

「悩殺下着が女の幸せか? 」

 常識人の高森は、大いに疑問に感じた。

 それに、泣き寝入りするなとは、詰まりは「やられたらやり返せ。奪われたら奪い返せ」という事だろう。今時、そんなやり方を子供に教えるなどとは……、世の中、何でも暴力で解決出来る訳ではないのだ。

 すると、その母親は、高森の考えを見透かしたかのように一瞥してから、一層言葉に力を込めて言ったのだ。

「奪われる前に奪い返す!!! 」

 どきっぱり!!!

「………」

 それは最早、奪い「返す」とは言えないのでは?

 普通は、「強奪する」と言うのでは?

 様々な思いが渦巻いたのだが、高森には、それを口にする事は出来なかった。

 そう、無理もないのだ。あんな家族に囲まれていては。

 高森は、何とかもう一度、そう思う事にした。

 サラは、相変わらず飢えた猫の様に、黙々と食べ続けている。

 命は、延々と愚痴り続けている。

 そして京次は、やはり上の空だ。

 ひとしきり下着の件を訴えた後、命が、気分直しに今夜は京次の所に泊まると言い出すと、雪之絵真紀は、母子水入らずを放棄して快く承知した。

 そして、高森と命が玄関に入ると扉を閉めようとした京次を、雪之絵は、ちょいちょいと手を動かして呼び出したのだ。

「何だ? 」

「命の事だけど」

 雪之絵は、今日の出来事に命がかなり腹を立てている事、予定の下着が駄目になった為に却って意地になって、何か別の方法で迫って来る可能性が高い事などを話してきた。

 そして言った。

「判ってると思うけど、京次。もしあんたが、命に手を出して畜生にも劣る行いをしたら、私はあんたを殺すわよ! 」

「判ってる」

「それから」

「何だ? 」

「命を拒絶して泣かしたら、その場合も、殺す!! 」

「………どっちにしろ殺されるのか、俺は」

 さて、どうしたものかと、またも京次は考える。

 高森に泊まって貰うか? いや。急にそれは無理だろう。

 急用が出来たとか、仕事が入ったとか言って外へ……。いや、わざとらし過ぎる。

 いっそ、詩女かエデンかアケミの所へ泊まりに……。火に油を注ぐだけだ。

 待てよ。明人から電話を掛けて貰って、急用だと呼び出してくれるよう頼むってのはどうだ?

 明人といえば、君寧明人である。これは良い方法かも、と京次は思った。

 が、

 ……駄目だ。今更頼もうにも、命に怪しまれずにこっちから連絡する方法がない。

 京次は、二人の娘を見た。

 サラは、やはり黙々と食べ続けている。命は、まだ何事かを一生懸命に喋り続けている。

 サラに頼んで明人に連絡して貰う、というのはどうだ?

 ……駄目だ。サラだけにこそこそ頼み事をした時点で、命に疑われる。

「……次さん」

「…京次さん」

 些か強い調子で呼び掛ける声に、はっと京次は我に返った。

 目の前に、呆れ顔の高森がいた。

「食事、終わったようでしたら、食器を下げますので」

「あ、すまん。まだ食ってるとこだ」

 高森の言葉に、京次は、慌てて茶碗に口を付けて箸を動かす。

「!?」

 空っぽだった。

 食卓上の京次の分の食器にも、乗っていたはずの料理は、綺麗さっぱり跡形もない。

 サラだ。

 盗み食いとはまた違う。親子の関係を深める為にと、色々と分け合って食べたりして来たのが間違いだったのか、サラは、今ではすっかりごく自然に「京次の皿は自分の皿」と認識してしまっているようなのだ。

 京次は、溜息を吐いた。

「すまん、高森。お替わりは……」

 茶碗を掲げ持って訊ねる京次に、高森は、冷たく答えた。

「サラさんが、全て平らげました」

「サラぁ……」

「だって、京次がちっとも食べないからね、お腹空いてないんだと思ったわ」

 恨めしい目を向けるしかない京次に、サラは、けろりとそう言った。

 仕方がない。

 京次には、とぼとぼと台所へ歩いて行き、買い置きのカップ麺を取って来て侘びしく湯を注ぐしかなかった。

 そして、待つ間。再び、どうやって今夜の修羅場を乗り切ろうかと、京次は考える。

「……次さん」

「……パ」

「…京次さん」

「……パパ」

「京次さん! 」

「パパったら! 」

A

 ばんっ!!

A

 食卓を叩く音に、またも京次は、はっとして我に返った。

「あ、すまん、何だ? 」

「……3分、とっくに経ってます」

 顔を上げて目の前を見ると、高森と命が、何とも言えず険悪な顔付きでこちらを見詰めていた。

 ぺりりと蓋を取って、少々のびてしまった麺を、ずぞぞぞぞと啜る。非常に居心地が悪い。

「パパには、私たちの話なんてどうでもいいんだね」

「そうですね。何を言っても上の空で。大方、僕らなんかより、もっと大切な女の人たちの事でも考えてらしたんでしょ? 」

 命に同調する、高森の言葉が絡み付いて来る。

 少し前までは、非常識な家族のせいで疲れているのだ、とか思っていた高森だったが、今は、かなり雲行きが変わってしまっているようだ。

 その目つきが、心持ち細くなる。

A

 女には、女の欲求がある。

 高森の精神は、本質的に女である。

 そして女というものには誰しも、とにかく構って欲しい時、話を聞いて欲しいという時があるものなのだ。

 命などと違って男として育った高森は、普段は何とか抑える事が出来る。

 だが、やはりどうしても聞いて欲しい時というのが、時々はあるものなのだ。今日の様に、次々とショックな出来事があった日などがそうである。

 もしもその時、構ってやらないとどうなるか?

 そう。こうなるのだ。

 詰まり、それが今現在の高森である。

A

「な、何を言ってるんだ、高森、命。お、女の事なんて、今は考えてないぞ! だいたい……」

「いえ、京次さん。僕らの前でまで無理をなさる事はありませんよ。京次さんがあの女性たちの事を考えるのは、寧ろ立派な事なのですから」

 いつもならば、決して師匠に対して向けないだろう高森らしからぬ半月型のじと目で見つつ、その口を開く、京次の一番弟子高森夕矢。

「実は、今日僕の犯してしまった罪をお詫びしようと思って、さっきから何度も話し掛けていたのです。大切な女性たちの事を考える、京次さんの大事なお時間を邪魔してしまい申し訳ないですが、もしも今、聞いて頂けるようでしたら、お話ししたいと思います」

「……う、伺わせて頂きます」

 食べかけのカップ麺を食卓に置き、思わず弟子に敬語を使って、京次は居住まいを正す。

A

 が、もう遅い。

 皆月京次という男は、実に自然に女性を気遣い、優しくしてやれる。そこには、些かも作為というものが無い。

 だが、それは同時に、実に自然にぼーーっとしていて、作為的なアフターケアをしてやれないという意味でもある。

 それが出来れば、女難どころか一流の女っ誑しなのだが。

A

「僕の罪をお話しします。僕は、今日、京次さんの名誉を守る事が出来ませんでした」

 だが、言葉とは裏腹に、高森が京次に向ける目は、罪の告白というよりは糾弾である。

「太郎たちが、アケミさんやエデンさんを引き合いに出し、京次さんの事を、何人も何人もの女に手を出して次々に孕ませて、飽きたら雑巾の様に捨てるのだなどと言い掛かりを付けて来たのです」

「……はあ、そうですか」

 その言葉なら、京次自身も息を殺して聞いていた。

「京次さんは、血と戦いの世界に生きるしかなかった可哀想な彼女達に、勿論正式に籍は入れられないし、夫不在の時間が多いものの暖かい家庭と、そして、戸籍上庶子になってしまうし、父親が一緒にいてやれない時間が多いとはいえ、愛する子供を与えてやれたのですから、誰恥じる事のない立派な事をなさっています」

 言葉は相手を持ち上げつつも、しかし臓腑はきっちり抉る。高森節は健在である。

「でも、彼らには京次さんの偉大さが分からないのですね。彼らの曇り切った目には、次々と妾をこさえては子を作る、只の筋金入りの色魔としか見えていないようなのです。」

 ふう、とわざとらしく無念そうな溜息を吐く。

 高森節は、その上更に塩をなすり込むまでに成長を遂げているようだ。

「目の前で、師匠がそんなにも悪し様に罵られているというのに、不甲斐ない僕には、何も言い返す事が出来ませんでした。京次さん、意気地のない僕の性根を、どうか叩き直して下さい」

 言葉はいかにも殊勝だが、絡みつくじと目は変わらない。

A

 高森と同盟している命は、助けてくれる訳もない。

 堪らず京次は、サラに向かって助けを求めた。

「サ、サラ。頼む、助けてくれ」

「さーて、お風呂の湯加減見て来なくちゃ」

 頼みのサラは、涼しい顔で、さっさと席を外してしまった。

A

 高森の「女」の部分は、所謂、普段優等生タイプの女を想像して頂ければ良い。

 そのヒステリーは、深く静かにねちねちと続く。

「京次さんが、体中の体液を流して、一生懸命あの女性たちを幸せにしてあげているというのに、世間の評価は冷たいですね」

 またもわざとらしく溜息を吐く高森に、京次は、半ば諦めつつも修正を求めて言葉を掛けるが。

「高森ー、体液って…もう少し言い方ってもんが……」

「血や汗や涙は体液でしょう? 」

 取り付く島もない。

 そりゃ汗も涙も体液だけどさ。

 体液って…。

A

 まだまだ一頻り続きそうな高森節に、京次は、すっかりのび切ってしまったカップ麺に、悲しい視線を送るしかない。

A

A

 まさに精も根も尽き果てた頃、やっとの事で、サラが助け船を入れてくれた。

A

「風呂が沸いたぞ」

A

 助かった!

A

 喜びの顔を上げた京次の耳に、待ってましたと命の声の響きが届く。

「パパー。いっしょに入ろ」

 そのお誘いは予想していたのだろう、すぐに爽やか笑顔を満面に貼り付けた京次が、わざとらしく命の頭をなでなでしながら、殊更猫なで声で言う。(また無駄な足掻きを、と高森は思う。)

「命はもう高校二年生なんだから、お風呂も一人で入れなきゃあな。友達もみんなそうしてるだろ? タケ子ちゃんやカズ子ちゃんにも、笑われちゃうぞ」

「じゃあ、命にも赤ちゃん頂戴」

「……」

 やっぱり通用しない。

 分かってた事だろうにと高森は思う。

A

 アケミとエデン母の妊娠を知り、当然命は烈火の如く怒り狂った。何が何でも、自分も京次との間に子供が欲しいと、一週間余りに渡って駄々を捏ねまくった挙げ句、交換条件として、高校に上がって以来避けられていた幾つかの「スキンシップ」を、キスに続いて勝ち取ったのだ。

 京次は、渋々ながら応じるしかない。

A

A

 そして、疲れ果てた顔で湯船に浸かる父と、嬉々として浴室に入って来る娘。

「幼稚園までなら、問題はなかったのだが……」

 この後の命の攻撃を、どう凌ぐか。

 応じても駄目、拒絶しても駄目。どちらにしろ雪之絵真紀に殺される、などといった結果は是非とも避けたい。

 考え込んでいる京次の耳に、命の嬉しげな声が聞こえる。

「パパの背中、命が流してあげる」

「では、シャンプーは私がしてやろう」

A

 ぎょっとして京次が振り向くと、そこには全裸のサラが立っていた。

「あのなあ、サラ。いつもは、一緒に入ったりなんてしないだろ」

 京次が言うと、サラは、命の真似をして答えた。

「じゃあ、私にも赤ちゃん」

「命のせいで、サラまでがいらん事を覚えたじゃないか…」

 京次のじと目。

「いやー、まあね」

A

 そして、サラを納得させようと、無理に笑顔を作った京次が、苦しい言い訳をする。

「ほら、うちの風呂は狭いし三人も入ると……な? 」

 すると。

 サラは、くるりと後ろを向くと、ちらっと一度京次に視線を送り、これ見よがしに人差し指で壁にぐりぐり渦巻きを描き始めた。

「…どうせ、どうせ、私は貰われっ子だしね。いいんだ、命と違って本当の子じゃないし」

「命のせいで、サラがさらにいらん事を覚えたじゃないか…」

「いやーあれは、テレビで覚えたらしいんだけど…」

A

「……判った。三人で一緒に入ろう」

 泣く子と、いじける娘には勝てない。

 京次は折れた。

A

 かぽーーーん。ざーーーーっ。

A

「……そうか」

 洗い場の椅子に座って娘二人に背中を向けて、京次は考え直した。

 詩女の指示だからという訳でもないだろうが、そういえば一緒に暮らし始めてからのサラは、命が自分に迫って来るのを悉(ことごと)く邪魔してくれている。

 無論、どちらかといえば気まぐれなサラにすれば、単に気が向いたからとか、命が口惜しがるのが面白いからといった程度の理由なのだろうが、京次としては有り難いのは事実だ。

A

 これは、もしかしたら、瓢箪から駒というやつかもしれないぞ。

 京次は、脳天気に、そう判断した。

A

 背中を向けた京次からは、意味深な笑みを浮かべて目配せを交わす娘二人の様子など、無論見えるはずもない。

「さー、じゃ、パパ。背中流すわよ」

 京次の後ろから、命のやたら嬉しげな声と、スポンジをわしわしっと泡立てる音が聞こえ、おもむろにそれがぐいと背中に当てられる。

 軽くごしごしっ。

 またそして、サラの指が京次の髪の中に沈む。

 軽くわしわしっ。

A

「ねえ、パパ。家族のスキンシップって、やっぱりいいね」

 心底嬉しげな言葉が京次の耳に届き、肩甲骨の付け根あたりに、命のおでこがこつんと当たる。

「こうして触れ合っているだけで、ね、命とっても幸せ」

 おでこと背中に温もりが通い合い、しんみりと嬉しそうな命の声。

「命…」

 京次の胸と目頭にも、熱いものが込み上げてくる。

A

 フェイントだった!!!!!

A

 二人の行動は全く同時だった。

 がしっ! ぴとっ!

「うわっ、な、何だっ!? 」

 不覚を取った!

 気付いた時には遅かった!!

 命が背中から抱き着いて胸に手を回し、サラが顎に腕を絡めて頭部全体を抱き締める。背中と頬に密着する、つくんと上を向いた発展途上を誇る二人の瑞々しい弾力には、何時の間にかボディソープとシャンプーがたっぷり塗してあるのが分かる。

「わわっ。わっ。わっ」

 ぴとっ。にゅりゅっ、にゅりゅっ。

 ぴとっ。むにゅっ、ぬにゅっ、むにゅっ。

 二人は、競うかのように若々しい膨らみを京次に押し付け、あるいは上下にあるいは円を描くようにと滑らせていく。

 何とか振り解こうとする京次だが、命に腕ごと体を抱え込まれサラに頭部を極められていては、立ち上がる事も腕を振る事もできない態勢だ。

「お、お前たち、何をしているんだあっ!? 」

「何って、パパの背中流してあげるの」

「シャンプーしてやっている」

 にゅりゅっ、にゅりゅっ。にゅりゅっ。

 二人して全く悪びれるふうもない。

「や、止めなさい! そんなシャンプーや三助のやり方があるか! 」

「スキンシップ。スキンシップ」

「触れ合ってるだけで幸せって、言ったでしょ」

 むにゅっ、ぬにゅっ、むにゅっ。

 二人してとっても嬉しそうだ。

「そ、そこは親子が触れ合うべき所とは違うぞおっ!! 」

「サービス、サービス」

「親には、娘の成長を確かめる義務があるのよ」

 くにゅっ、にゅりゅっ。むにゅっ、にゅりゅっ。

 二人して心底楽しそうだ。

「な、サラ、サラはいい子だよな? シュークリームとエクレア買ってきてやるから、悪ふざけはやめて命を止めてくれ。な? 」

 身動きできない京次は、現状を打破すべくサラを買収する手に出た。元々頭脳派ではない京次だ、こういった点、特筆すべき程の成長はない。

「あーら、妹は、お姉ちゃんと仲良く何でも協力するべきなのよ。前にパパもそう言ってたでしょう」

「うむ。確かにそう言っていたな」

 にゅりゅっ。くにゅっ、にゅりゅっ、むにゅっ。

 二人して息もぴったりだ。

「こ、こらっ! 二人ともやめなさい! ほ、本気で怒るぞっ!! 」

 叫びたてる京次の肩越しに命が首を伸ばし、上気した目で京次を見やったと思うや素早くキスを奪った。

「むぐぐっ」

「ごめーんねー、パパ。やめらんない。だってパパの嫌がる顔って(確かに雪之絵真紀の娘だよ! )とおっても素敵なんだもおん」

「うむ。すまんが実は私も、嫌がるのが…楽しい」

 今度はサラの唇が近づいてくる。

「んむぐぐっ」

 にゅりゅっ。むにゅっ、にゅりゅっ、くにゅっ。

 二人して…何かに目覚めつつあるのは確実なようだ。

A

 京次を襲う、本能的恐怖!!

 必死に身を捩って抗おうとする京次だが、命とサラの二人掛かりで押さえ込まれては、いかに最強の皆月京次とてただ叫ぶしか出来る事はない。

A

「たっ、高森いーー! 助けてくれぇぇぇぇぇぇぇ…!! 」

A

 風呂場から聞こえてくる京次の悲鳴に、台所で食器を片付けていた高森は、軽く頭を振って肩を竦めた。

 敢えて、今日は助けに行く気がしない。

A

「よせえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………!! 」

A

 夜空に、世界最強の男の悲鳴が響く。

A

 人生之れ即ち修行。

 武の道は悠久にして果てしない。

 師から弟子へ、連綿と受け継がれる技と精神(こころ)。

 そして……。

 気のせいかもしれない。気のせいかもしれないが。

 技や精神や強さの他に、自分は、何か取り返しのつかないものをも一緒に受け継いでしまいつつあるのではないか……。

 何故か、そんな気がしてならない高森であった。

A

 師弟の女難は、まだまだ続く。

A

(女難師弟・完)
A


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